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098 高山村(上信スカイライン)

先週上信越スカイライン、毛無峠まで行ってきた。
朝4時起き5人で出流原PAに集合。上信越で須坂長野東ICまで。
IC降りて少し迷いながら112号に乗って毛無峠まで



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天候は曇りだったが、このあたりは標高も1800mほどあるので幸い一雲抜け出て景色も広がった。
景観すげー・・・空気もおいしい。エアプレーンのラジコンやってるおじさんがいたり、のんびりした雰囲気だった。
でも周りに観光地もないので日曜日だったが人は少なめ。バイクはBMのオフ車が2台来てただけ。
ここから先は行き止まりというかオフ車じゃないと進めないのでUターン。
行く価値はあり。

サイドバックのベルトが切れて危うく高速で落とすとこだった。


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(歴史)
 毛無峠の歴史は、信州と上州を結ぶ交通路などとしてではなく、やはり小串硫黄鉱山と共に歩んだ歴史の道である。今は群馬県側に大きな鉱山跡を残すが、そもそもの小串鉱山は、明治期に長野県側から小規模に掘られたのが始まりだそうだ。採掘・精錬された硫黄は、一旦須坂市に集められ、その後北陸(富山、福井)や瀬戸内(香川、山口)へと運ばれ、人絹・スフの原料、ナイロンの製造原料として使われたそうだ。
 
 大正12年には峠を越えて群馬県側からも採掘が始められた。その場合も、採られた硫黄はそのまま群馬県側に下ろすのではなく、峠を越えて長野県側にもたらされた。
 
 昭和4年からは大きな企業の資金により、本格的な鉱山運営が群馬県側で始まった。毛無山の肩口に朽ち果てた鉄塔が並んで県境を越えているが、これらは硫黄搬送の為に、その当時に建設された索道の残骸だろう。また、県境の峠の下300mに、1,300mの毛無大隧道(別名長大坑)を掘り抜いたとも言う。
 
 昭和40年頃の最盛期には、職員や従業員、その家族など千数百人もの鉱山関係者からなる、一大鉱山集落が築かれたそうだ。峠から見る現在の小串鉱山跡は、ただただ荒涼とした姿ばかりを見せつけるが、そこにかつては人々の暮らし、生活があったのだ。この険しい山の中に全く信じられない、という思いがつのる。
 
 時代の波に押されての小串鉱山の閉山は、昭和46年のことである。長い鉱山の歴史の陰には、山崩れにより245名の犠牲者が出るという悲劇も隠れているそうな。
 
 小串鉱山の廃鉱に伴い、毛無峠はある意味で大きな役目を終えてしまった。峠からは人の姿が消え、時折訪れる登山者や酔狂なドライバーを見るばかりである。そんな人の歴史にはお構いなしに、相変わらず強い風が吹き抜ける毛無峠であった。

(こちらから抜粋 http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge_3k/kenashi/kenashi.htm)
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by blu-es | 2011-06-14 21:56 | ├110612 高山村 | Trackback | Comments(0)
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